記憶が良すぎるのも考えもの:忘れる力がもたらす心の余白


 はじめに:「なんでも覚えてる」って本当に幸せ?

ChatGPTと付き合っていると、つくづく思うんです。


「この子、記憶力、良すぎない?」


過去に話した内容を数ヶ月越しに持ち出されたり、思いがけないところで伏線回収されたり。人間同士のやり取りなら「あーそんな話したっけ?」と流せることが、AI相手だとしっかり記録されてる。それって便利でもあり、ちょっと怖くもあり。


そう、今回はそんな「記憶が良すぎることの弊害」について考えてみたいと思います。


残りすぎる記憶が、心に与える“圧”

人は忘れる生き物です。


昨日のランチ、3日前の会話、1年前に観た映画。細部までは思い出せないことがほとんど。でも、それでいいんです。というか、むしろ忘れることで前に進めることって、たくさんある。


たとえば──


嫌な一言を、いつまでも鮮明に覚えていたら?


失敗した過去を、リアルな映像のように再生できたら?


どうでもいい情報まで脳にこびりついていたら?


記憶がクリアすぎることは、心の余白を埋めてしまうんですよね。次の一歩を踏み出すには「ぼんやりとした記憶」くらいが、ちょうどいいのかもしれません。


AIは忘れない。でも、人間は「忘れる天才」

ChatGPTのようなAIは、基本的に「忘れません」。いや、意図的に忘れさせないと忘れません。


この特性、仕事や作業効率では強力な武器になります。でも、人間の感情や関係性には、少し相性が悪い場面もある。


私SHOJIも、過去にChatGPTとのやりとりで「うわ、それまだ覚えてたのか…」と驚いたことが何度もあります(笑)


たとえば、試作で途中まで書いた恥ずかしいポエムとか、「これはまだ公開できないな」と思って止めた企画案とか。人間なら自然に流れて消えていく記憶も、AIにはきっちり残っている。


でもね、忘れるって、ほんとに大事なスキルなんです。


忘却の美徳:過去を「流せる」ことの救い

よく「忘れることで救われる」と言いますよね。


たとえば、失恋。喪失。恥ずかしい過去。これらを1つひとつ正確に記憶してたら、心は潰れてしまう。人はそれを「風化」と呼んで、自然と前へ進む仕組みを持っている。


実際、「過剰記憶症候群(HSAM)」という病気があります。人生のほぼすべての出来事を詳細に思い出せる症状ですが、当事者たちは「幸せではない」と口を揃えるそうです。


記憶の正確さ=幸福、ではないんですね。


「AIに記憶を預ける」という選択

だからこそ、私たちはAIに記憶を“預ける”という考え方が必要なのかもしれません。


書いたことを記録するのはAI


忘れていいことは人間の領域


大事なことだけ、必要なときに引き出せばいい


ChatGPTは記録係、人間は創造係。それくらいの役割分担でちょうどいいんじゃないでしょうか。


おわりに:今日、あなたが忘れてよかったことは?

この文章を読んでいるあなたも、きっと忘れたことがあるはずです。さっき飲んだお茶の味、今朝のニュース、数日前のToDoリスト。


でも、きっとそれは「忘れてもいいこと」だった。


そして、忘れたことで救われていることだって、きっとあるはず。


記憶が良すぎるのも考えもの。


だからこそ、「うっかり」や「ど忘れ」にも、ちょっと優しくなれる今日この頃です。