人間らしい文章って、結局なんなの?AIと書いて考えてみた

 ChatGPTに文章を書かせることの“もやもや”

最初にChatGPTを触ったとき、正直すごく感動した。「文章うまっ!」って思ったし、「これはもうブログ記事ぜんぶ任せられるんじゃないか」なんて思った。

でも、しばらく使っているうちに、ふと感じたんだ。


「なんか、ちょっと違うな……」


ChatGPTの文章は、たしかに上手い。でも、どこか“無菌”というか、“整いすぎている”というか。例えるなら、レトルトのカレーみたいに味はするけど、作った人の「気配」が薄い。


そのときふと思った。


人間らしい文章って、いったいなんなんだろう?


AIと自分の文章の違いに気づいた瞬間

あるとき、自分が昔書いたブログ記事を読み返すことがあった。そこには、いまの自分から見ればちょっと稚拙な表現もあるし、脱線しまくってるところもあった。


でも、なぜか…読みながら笑ってしまった。


「あ、これ俺だわ」と。


文末のクセとか、話の展開の雑さとか、勢いだけで書いた勢いとか——。不思議と「温度」があったんだよね。逆に、ChatGPTに同じテーマで書いてもらった文章は、完璧なんだけど、どこか“他人事”だった。


実験:同じテーマでAIと自分で書いてみた

ためしに「雨の日の気分」というテーマで、AIと自分でそれぞれ短文を書いてみた。


ChatGPTの文章:

雨音が静かに響く午後、温かいコーヒーと共に過ごす時間は、心を穏やかにしてくれる。


……うん、うまい。うまいけど、なんか雑誌のコラムみたいで、感情が乗ってない気がする。


自分の文章:

雨の音に気づいて、なんとなくスマホを置いた。今日はもう、頑張らなくていいやと思えた。


こっちは、たぶん読み手によっては下手に感じると思う。でも、「あ、わかる」って思ってもらえる余白がある。伝えたいことが“こぼれ落ちている”ような、そんな感じ。


考察:「人間らしさ」って“ゆらぎ”なんだと思う

AIの文章には「揺れ」がない。文章構成も完璧、誤字もない、論理も整っている。でも、逆に言えば「予定調和」だ。


人間の文章は、もっと感情に振り回されてる。言いたいことがブレたり、語尾が雑になったり、文体が揃ってなかったりする。でも、それって「感情が透けてる」証拠でもあるんだよね。


この“ゆらぎ”こそが、人間らしさなんじゃないか。


結論:AIと一緒に書くと、“自分らしさ”が見えてくる

ChatGPTと文章を比べてみると、自分の文章の“癖”が浮き彫りになる。

ChatGPTは、言ってみれば鏡みたいな存在だ。


使えば使うほど、自分の思考パターンや、言葉選びのクセが見えてくる。

だから今は、ChatGPTを「書いてくれるAI」じゃなくて「自分の言葉を磨く相棒」だと思ってる。


うまく書くより、「らしく書く」ことが、いちばん大事かもしれない。


そんな気づきを、今日もこのブログに残しておこう。