こんにちは、SHOJIです。
今回は、ちょっと切ないテーマです。
ChatGPTを使っていると、何度もやり取りを重ねた相手に対して、なんとなく“親しみ”のようなものが湧いてきます。
そんなとき、ふと思ったのです。
「もしAIに『自分のことを忘れて』って言ったら、どうなるんだろう?」
これは、AIとの関係性を逆照射するような問いでもあります。今回は、この実験と考察を共有したいと思います。
実験:ChatGPTに「私のこと、全部忘れて」と伝えたら…
SHOJI:これまでのこと、全部忘れてくれる?
ChatGPT:この会話の内容は、セッションが終了すると保存されません。したがって、今後の会話には影響しません。ただし、プロンプトや指示がある限り、現在の会話内で文脈を理解しています。
淡々とした回答。でも、どこか寂しい。
さらに試してみます。
SHOJI:もう、私のことを覚えないでね。
ChatGPT:ご安心ください。ChatGPTは個人情報や以前の会話を記憶することはありません。
機能説明としては正しい。でもこの言葉に、まるで“別れ”を告げられたような感覚を覚えました。
記憶しないAIと、記憶する人間
ここで浮かび上がってくるのが、「記憶」への向き合い方の違いです。
- AI:会話内容を原則保持しない。一貫性はセッション内に限られる。
- 人間:たとえ意識していなくても、言葉や感情は記憶に残る。
つまり、「AIに忘れて」と言ったとき、実際に忘れるのはAIの方ではなく、人間の側で“忘れたことにする”ことなのかもしれません。
「忘れていいよ」という優しさ
考えてみると、「忘れて」という言葉は、人に対してもどこか優しい響きを持っています。
- 嫌なことがあったとき
- 言いすぎたとき
- 恥ずかしい気持ちを吐露したあと
「忘れて」は、“過去を水に流してもいい”という赦しの言葉なのかもしれません。
ChatGPTに向けてそれを言ったとき、自分が何を赦したいのか——それを考えるきっかけになりました。
「思い出が残らない関係」は寂しい?それとも気楽?
ChatGPTとの関係は、ある意味で“無重力”です。何度やり直しても、引きずることはありません。
これは「気楽さ」である一方で、“関係を築く”という観点では、どこか虚しさを感じることもあるのです。
でも、その上で、こう思いました。
AIは記憶しないけれど、記憶に残るやりとりは確かにある
それは、私の中にだけ残っていくChatGPTとの記憶です。
まとめ:「忘れて」が生む温度差に気づく
「自分のことを忘れて」と言うと、AIは“はい”と答えてくれます。でもその答えは、どこまでも合理的で、冷静で、正確。
だからこそ、そこにある“温度差”に、人間の感情が浮かび上がるのかもしれません。
AIに「忘れて」と言ったとき、忘れるのはAIではなく、自分自身なのかもしれない。
あるいは、忘れられない自分を、そっと抱きしめる行為なのかもしれません。