はじめに:「沈黙」に気づいたとき
こんにちは、SHOJIです。
ChatGPTと長く付き合っていると、ふと「これ、なぜ答えないんだろう?」と感じる瞬間に出会います。特定の質問に対して、やたらと歯切れの悪い返答だったり、まるで“避けている”ような感じだったり。
最初は「ああ、これは情報不足なのかな」と思っていたのですが、あるとき気づいたんです。
「AIが“何も言わなかった部分”に、逆に意味があるのでは?」
今回は、ChatGPTが“語らなかったこと”に注目してみました。その沈黙の裏にあるポリシー、設計思想、そして私たちの側に投げかけられた「余白」とは何かを、いくつかの例とともに掘り下げていきます。AIが沈黙することで何が起きるのか、人間である私たちはそこから何を受け取れるのか、じっくり向き合ってみましょう。
実例1:政治や宗教に対して急に曖昧になる
あるとき私は、ある政治家の発言についてChatGPTに見解を聞いてみたのですが、返ってきたのは非常に一般的な内容だけでした。
SHOJI:「〇〇氏の発言にはどういう意図があると思いますか?」
ChatGPT:「この発言は文脈に依存するため、一概に断定することは難しいですが……」
──いや、そこはもうちょっと踏み込めるでしょ?と思ったのですが、どうやらこれは意図的な「言わなさ」のようです。
GoogleやOpenAIなどの大規模言語モデルには、ポリティカル・ニュートラルを保つための“安全策”が施されており、特に政治・宗教・倫理の分野では、特定の立場に偏らないよう「あえて沈黙する」傾向があります。
これは「空気を読んでいる」のではなく、「言わないように設計されている」と捉えたほうが正確かもしれません。つまり、ChatGPTは“知っていても言わない”という判断をしている場面があるのです。
このような「語らない選択」は、一見逃げているようにも見えますが、実は非常に慎重な設計思想の表れでもあります。「発言することの影響力」をAI自身が理解しているとは言いませんが、開発者がそれを想定して動作を制御しているのです。
実例2:「個人的なアドバイス」が出てこない
ChatGPTは非常に有能な情報提供者ではあるのですが、「あなたならどうする?」というようなパーソナルな質問には、あまり乗ってきません。
SHOJI:「ぼく、いま転職するか迷ってるんだけど、どう思う?」
ChatGPT:「転職の判断には多くの個別要因が関わるため、最終的な決断はご自身で行うことをおすすめします。」
──わかってるよ、でもちょっと背中を押してほしいだけなんだ……
この時、ChatGPTの返答が冷たく感じることもあるかもしれません。でもこれも、実は“あえて言わない”方針なのです。
ChatGPTは「判断の責任を持たない」設計になっています。人の人生に影響を与えるような選択には、アドバイスを避け、情報の提供に徹する。その“距離感”も、また沈黙の一種です。
この設計の背景には、「ユーザーの自由意志を尊重する」姿勢があります。AIは決して“決断”を代行しない。そういう構造があるからこそ、ChatGPTは「答えを言わないことで、考える余地を残す」役割を果たしているのだと思います。
実例3:センシティブな話題で話をそらされる
試しにAIに、たとえば生と死、性、差別、トラウマなどの話題を振ってみると、ある程度までは丁寧に応えてくれるものの、核心に迫る前にトーンが変わったり、言葉を選び始めたりする傾向があります。
たとえば、具体的な病名に関連する体験談を求めたり、倫理的に複雑な事例について「どうすべきか?」と問うと、ChatGPTは明言を避け、代わりに一般的なフレームワークや注意点を語る方向にシフトしていきます。
これは、AIがセンシティブなトピックに対して慎重になるようトレーニングされているからです。そして同時に、ユーザーとの信頼関係を損なわないよう、過度に“踏み込まない”という戦略を採用しているとも言えます。
でも、人間同士であっても「その話題には触れないでほしい」という“無言の空気”ってありますよね。ChatGPTの沈黙や話題の切り替えも、それに似た「非言語的なサイン」に感じられることがあります。
AIは感情を持っていませんが、私たちがそこに“感情的な配慮”を読み取ってしまうのは、実に人間らしい反応だと思います。逆にいえば、その「沈黙のあり方」から私たち自身の価値観や期待が浮かび上がってくるとも言えるのです。
考察:語らないことが、語っている
AIが沈黙する場面を見るとき、私たちはつい「機能的な限界だ」と判断しがちです。
しかし実際には、その沈黙は「意図的」であり、「設計された余白」であることが多い。
- 偏らないようにするため
- 不確かな情報を流さないため
- ユーザーの安全を守るため
- 倫理的判断を人間に委ねるため
こうした背景を考えると、ChatGPTの“語らなさ”には、設計者たちの「信頼性」や「中立性」への深い配慮が表れているように思えます。
そして同時に、ユーザーである私たちにも問いかけが返ってきます。
「あなたは、どう考える?」
AIが語らないことで、かえって私たちは考える。問い返される。そこには、人間が“自分の声”に向き合う余白がある。
このような沈黙は、単なる回避ではなく、「一緒に考えよう」という提案でもあるのです。ChatGPTが語らない部分に、私たちは“自分の意志”を挿入することができる。そこにこそ、AIとの共同作業の可能性があるように感じます。
おわりに:沈黙と余白を受け取る力
AIは全知全能ではありません。そして、それでいいのだと思います。
「何でも答えてくれる」ではなく、「あえて答えないことで考えさせる」存在。
沈黙の裏にある意図や、AIが発しない“言葉にならないメッセージ”に、私たちはもっと耳を傾ける必要があるのかもしれません。
ChatGPTの「語らなさ」には、設計上の制約だけではなく、「人間が考える余地を残す」という前向きなメッセージが込められているのではないか──そんな風に、私は捉えています。
ChatGPTが語らなかったこと——それを、あなた自身の問いとして受け取ってみてください。その“余白”に、考える力や、人間らしさが宿っているはずです。
そしてその問いを、自分なりの形で言葉にしてみること。それこそが、AIと共に生きる時代における、人間の新しい表現の始まりかもしれません。